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2017/9/2 源頼朝 [読む]

どんどん忘れていくので途中経過。

新・平家物語では、義経はいい人、頼朝はわるい人として描かれています。

頼朝は、そもそも父、義朝が平治の乱で敗れて親族の裏切りで殺されたあと、平清盛の囚われの身となったあと、命を助けられ、伊豆に流されました。

平清盛が亡くなったあと、弱体化した平家に、木曽義仲が責めこみ、都を占領しました。

義経は頼朝と巡り会い、家臣となって、頼朝の命により義仲を破り、さらに都落ちした平家を壇ノ浦で滅亡させました。

ところが兄、頼朝は弟、義経に冷たくあたり、ついには追討の命をだすのでした。

この背景は明確に書かれていません。
・朝廷側の後白河院が、義経を味方につけて、朝廷の権限を守ろうとしていたのに対し、頼朝は武家政治を始めようとしていました。
・頼朝自身が、殺されなかったために平家が滅びたという前例を考慮し、自分の敵はすべて抹殺しておこうと考えていました。

真相はわかりません。側近が頼朝をそそのかしたとの憶測もあります。妻の政子の実家の北条家は鎌倉に強い勢力を持っていました。

いずれにしても、この物語の中では頼朝は今でいうと北朝鮮国家元首級の悪人であり、義経は神のようなヒーローとして描かれています。

頼朝が義経追討の命を出したことを義経が知った時、彼は戦うのではなく、逃げることを決断します。
しかし、頼朝側は、義経を執拗に捜索し、追い詰めます。

義経と同行していた側室の静御前は、ついに吉野山の奥の女人禁制の山奥で、同行を断念し、その後、頼朝側に捕まってしまいます。
このとき、静御前は義経の子を懐妊していましたが、鎌倉に連れてこられて、そのことが頼朝にばれてしまいます。
頼朝の命は、女の子ならよし、男の子なら由比ヶ浜に沈めてしまえということでした。

生まれた子は男の子でした。
命令に従い、部下は生まれた子を海に捨てに行きました。

この物語では、部下は赤子を殺さず、殺したことにして、人に託したと書いてありました。

武士というものは、上司の命令には絶対に従わねばならない、あるときには非情なことも上からの命令によってしなければならない職業であることが書かれています。

こういうのは、現代では北朝鮮か、日本では暴力団くらいですね。

歴史にもしもはありませんが、義経が政権を掌握していたら、その後の歴史は変わったかもしれません。

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